「働きたくない」女子大生が元手10万円から億万長者に。自宅は4軒所有し、年間10か月はホテル暮らし。「投資家は暇です」と語る。➡これは実話なのだろうか、、

「魔法使いになりたい」—それが人生で最初に抱いた夢だった。次第にクレジットカードに興味を持ち、1枚のカードで欲しいものが何でも手に入ることに気づいた。その時、ふと思った。「現代では、お金持ちこそが魔法使いに一番近い存在なのかもしれない」と。20歳の時、たった10万円で投資を始め、それが豊かな人生への第一歩となった。今、30代半ばを迎え、資産総額は文字通り「桁違い」。これは「職業お金持ち」と呼ばれるビリオネア女性の型破りな人生の物語

医師の父と専業主婦の母のもと、3人姉妹の真ん中で育った。5歳から7歳までアメリカで過ごし、「お金」に対する関心は物心ついた頃から強かった。思春期には友達と将来の結婚相手を真剣に考え、「地主の嫁か、石油王の第5婦人になる」と結論を出していた。

大学2年生の終わり、軽い気持ちで始めたのが「投資」だった。成人を迎え、「お金持ちになろう」と本気で決意し、投資を選んだ理由は「消去法」だったという。

「医者や弁護士、もしくは大手企業や外資系銀行、コンサルティング会社で働くことを考えました。お給料がいいことが第一条件だったけれど、私ってもともと“働く意欲”が薄いんです。激務で薄給、働き詰めの生活は絶対に嫌だし、もし旦那に稼いでもらったとしても、彼が激務だったら私自身が楽しめない。結局、玉のこしも違うなと思っていた矢先、『普通の主婦が投資で4億円を稼いだ』という話が話題になり、投資がまさに“働かずにお金を得る方法”だと思いました。『普通の主婦が4億円稼げるなら、普通の学生でも2億円くらい稼げるんじゃないか』と思ったんです。」

若さも手伝って、かなり楽観的だったが、外国為替証拠金取引(FX)からスタート。これが運命を大きく変える出来事となった。「ビギナーズラックもあったのか、始めて2週間でお金が3倍近く増え、ある朝起きたら一晩で全てゼロになっていました。お金ってこんなに簡単になくなるんだと、衝撃を受けました。でも、ラッキーだったのは、最初にお金が増えたこと。実際にお金が増えるのを見たから、続けていけば本当に儲かるかもしれないという気持ちになれたんです。」学生時代は、平均して月に5万円ほどの利益を得て、バイト代程度の感覚で楽しんでいた。

大学卒業後は、丸の内エリアにある大手法律事務所の秘書として勤務。初任給の額面は22万円だった。労働意欲は低いながらも、就職活動の時点で「お化粧室がきれい、サービス残業なし、通勤定期の範囲内で恵比寿や六本木、銀座にも遊びに行ける」など自分の条件に合っており、ノーストレスで楽しく働いていた。就職して入金力が上がったことに加えてアベノミクスの効果もあり、投資の資産も順調に拡大していった。

資産が3000万円に達した時、改めてどう生きていきたいのかを考え、スパっとリタイアを決断。既に投資経験も5年ほどでコツをつかめていたこともあり、「3000万円から1億円はあっという間でした」と、25歳で億万長者の仲間入りを果たした。

現在は、株式投資をメインに、株価指数先物取引、海外不動産、暗号通貨などをバランスよく運用している。投資家同士の情報交換を重ね、試して得られた経験と知識を基に、すべて自分で差配。それでも、「投資が好きなのではなく、お金を使って新しいことやすてきな体験に替えることが好きなんです。そのために必要だから稼いでいるだけで」。デイトレーダーのようにパソコンとにらめっこしたり、スマホを開いて運用チャートを小まめにチェックしたりはしない。何より大事にしているのは、好きな人・美食・豊かな体験がそろう幸福時間だ。「チャートをずっと見ている必要はないです。私はお金の自由とともに時間の自由も手にしたかったので、投資に時間をとられてはむしろ本末転倒になってしまうんです」。現在は個人の投資を続ける傍ら投資コミュニティーを運営し、資産構築・運用のノウハウを伝えている。

1年の大半はホテル暮らし、国内では4つの家を保有

1年のうち10か月はホテル暮らし、国内では4つの家を自宅使い。「投資家は暇なんです。だから遊ぶ友達が欲しくて」と、各地を移動しながら世界中の富裕層とのつながりを広げているというんだが。。

お金では買えないのが幸せだけど、お金がなければ幸せところか、窮屈な人生が待っているとも思われる。。人生において正解は一つではないはずなのだ。。。

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