私は、何もかもを禁止されて育ちました。
恋愛も、部活も、友達と遊ぶことも、家族旅行も、ゲームすらも許されなかった。
ただひとつ、与えられていたのは「勉強だけしていればいい」という命令だけ。
だけど、集中できるはずがありません。
教科書を開いても、心はどこか遠くに飛んでしまっていた。成績は常に下位。
それでも両親――特に母親は、エリートで高学歴。
そんな私の気持ちなんて、微塵も理解できなかったのだと思います。
確かに、欲しい物は買ってもらっていたし、衣食住に不自由はありませんでした。
お金の面では感謝しています。でも、心は…まるで刑務所に閉じ込められているようでした。
「なぜか父がビンタされた夜」
中学生の頃、図書館で夜の20時まで勉強をしていたことがありました。
「ちょっと遅くなっちゃったな」と思いながら家に帰ると、母親が鬼の形相で待っていました。
なぜかその怒りの矛先は私ではなく、父に向けられ――
「なぜ娘がこんな時間に帰ってくるんだ!」と、いきなり父をビンタ。
……私が遅れたのに。
父よ、ごめん。今でもあの光景が頭から離れません。
その出来事を誰かに話したとき、返ってきた言葉が今でも耳に残っています。
「それ…お母さん、統合失調症なんじゃない?」
ああ、やっぱり他の人から見ても“普通じゃない”んだ、と初めて気づかされた瞬間でした。
「お惣菜のあとに“消えろ”」
私が中学・高校の6年間、夜になると必ず繰り返された儀式がありました。
母が仕事から帰ってくる21時頃、猫撫で声でこう言うのです。
「〇〇ちゃ〜ん、お惣菜買ってきたよ〜、一緒にテレビ観よう〜」
最初は嬉しかった。仲良くできるのかな?って思った。
でもその後、母の口から発せられる言葉はまるで別人のようでした。
「おい、お前、ご飯食ったか?用事が済んだら上の階に消えうせろ!」
あまりの豹変に、私はいつも戸惑いました。
この「急激な優しさ」と「突然の拒絶」。
調べてみたら、人を依存させる手法に「9割の優しさ、1割のいじわる」という心理テクニックがあるそうです。
母は、無意識かもしれませんが、その手法を完璧に使っていた。
私たちは、親子というより共依存の関係になっていました。
「お前は売春婦か?」
思春期になって、友達がミニスカートを履いたり、おしゃれを楽しんでいた頃。
私も真似して、スカートを履いたら母に言われました。
「お前、売春婦か?」
「そんなダサい服、着るな」
「今はおしゃれしてる場合じゃない。勉強だけしろ」
おしゃれも、恋も、部活も、「今しかできないこと」はすべて否定された。
私は、思春期の大切な成長ステップを踏むことなく、大人になってしまったのです。
「勉強しろ。でも朝ごはんはない」
母はこうも言っていました。
「お前は東大か京大に行け」
だけど、中学受験の塾や学校情報を調べたり、サポートしてくれることは一切ありませんでした。
朝ごはんすら出ない日々。
それで「勉強しろ」とだけ言われても、心がついていけなかった。
母は、シャワーもない極貧の家庭に育ち、そこからトップ大学へ行った自負があります。
だからこそ私には「エアコンがあるだけありがたいと思え」「甘ったれるな」と。
でも、母の“根性論”は私にとってはただの呪いでした。
「Fランにしか受からない」と毎日言われ続けて
私が机に向かって英単語を覚えていると、母はこう笑って言いました。
「ハハハ!お前みたいなバカが英単語?どうせFランしか受からないくせに」
勉強しろと言ったのは誰?
でも、努力するとバカにされる。――私はもう、何もやる気がなくなってしまった。
無気力になって、何もかもがどうでもよくなって。
特技もない、自己肯定感もゼロの私がたどり着いた結論はひとつ。
「若いうちに、優しい男性と結婚して、自由な生活を手に入れたい」
「100人以上の男性と会ってわかったこと」
私は18歳から、6年以上にわたり婚活をしてきました。
街コン、婚活パーティ、マッチングアプリ、友人の紹介――
100人以上の日本人男性と会い続けました。
偏見を持たず、年収400万以上で優しい人ならOKと考えていたのですが、ある日ふと思ったのです。
「日本人男性とは、もう価値観が合わないのかもしれない」
そして思い出した、中学生の頃の夢。
「イケメンの白人男性と結婚したい!」
私の中の“封印されていた夢”が、ふと蘇りました。
「白人男性狙い」に方向転換
そこで私は、外国人男性に絞って婚活することに決めました。
ペアーズというアプリで、白人男性のみに「いいね」を送る作戦に出たのです。
白人男性は、日本ではモテやすく、マッチングアプリでもいいね数が異常に多い。
なので、いいね数が100以上の人は遊び目的だと判断し、スルー。
私は、「30以下のいいね数」「チャラくない雰囲気」「高収入」で絞って探しました。
「運命の出会い」
ある日、ペアーズで見つけた白人男性。写真写りはちょっと微妙…でも、誠実そう。
年収も高く、趣味は旅行。私の条件にぴったりだったので、こちらから声をかけました。
「初めまして!もしよかったら、お食事でも行きませんか?」
すると彼は「ぜひ行きましょう!でも僕、日本語が苦手なんですけど大丈夫ですか?」と。
英検2級を持っていた私は、ジェスチャーとカタコト英語でなんとかなる!と思ってデートへ。
「まさかのイケメン登場」
待ち合わせ場所に現れた彼は、写真とは全然違ってすらっとしたハンサムな白人男性。
笑顔も素敵で、会話もスムーズ。
…食事も相手が奢ってくれた。
その日から彼とは何度もデートを重ねた。彼は毎回「今日も来てくれてありがとう」と言ってくれて、会うたびに「キレイだね」「その服、よく似合ってるよ」と褒めてくれた。
恋愛において自信を持てなかった私が、少しずつ笑顔になっていった。
そして、その白人男性こそが、今の私の旦那である。
気づけば、私の人生は、自由を知らなかった少女時代から、優しさと愛情に包まれる毎日へと大きく変わっていた。
あの頃の自分に言ってあげたい。「大丈夫、あなたは必ず幸せになれるよ」と。
「人生の呪いを、自分で解く」
私はずっと、毒親の呪縛の中にいました。
禁止されてばかりの人生、自信を奪われ続けた日々。
でも、私は行動することで、その呪いをひとつずつ外していった。
自分の価値を見つけるために――
優しさをくれる人と出会うために――
そして、今。私は、あの牢獄のような家から飛び出して、自分らしい人生を歩み始めています。
「人生は、選び直していい」
過去がどうであれ、私たちは何度だって生まれ変われる。
あなたにも、あなたらしい人生を取り戻してほしいと、心から思っています。