「君って、何も趣味がないよね」
旦那にそう言われた日、胸の奥が少し痛んだ。
確かに、私は趣味がない。特技もない。
毎日がなんとなく過ぎていく。
でも、正直に言うと――
「何かやりたい」という気持ちさえ湧かない。
無気力。
ただ、ぼんやりと“このままでいいのかな”と思うだけ。
私は過干渉の親元で育った。
何を始めようとしても、すぐ否定された。
「そんなことやっても意味ない」
「勉強だけしていればいい」
母は韓国人だ。
韓国では、“趣味”を否定する文化がある。
子どもは勉強をして、大手企業に入ること。
医者になること。弁護士になること。
それが“成功”。
旅行も、運動も、音楽も、絵も――
すべてが「人生の無駄」だと言われて育った。
母自身も、きっと誰かにそう教えられてきたんだろう。
そうやって洗脳されて、私にも同じ価値観を押しつけたのかもしれない。
だから今になって「趣味を見つけよう」なんて言われても、
正直、何をしていいのかわからない。
何もしたくない。
何も楽しくない。
“やる気を出す”という行為そのものが重たい。
でも――
「何もない自分」が苦しい。
「何者にもなれない私」が、たまに心を刺す。
最近気づいた。
私が欲しいのは、“趣味”じゃなくて“自分を取り戻す時間”なんだと思う。
趣味って、別にキラキラしたものじゃなくていい。
誰かに言えるほどのものじゃなくていい。
たとえば、
・お気に入りの紅茶を入れる
・スーパーで少し高い苺を買う
・空をぼんやり眺める
・スマホの写真フォルダを整理する
それも立派な“趣味の始まり”なんじゃないかと思った。
私は、趣味を「作る」ことに苦しんでた。
でも本当は、
「自分の世界を少しずつ取り戻す」ことが大事なんだ。
親に否定されてきた私たちは、
「これが好き」「やってみたい」って言う勇気が小さくなってる。
でも、その声を聞き直すことから始めればいい。
無気力な時は、
“行動”じゃなくて“感覚”を動かそう。
音楽を流す
香りをかぐ
お気に入りの服を着る
それだけで、
止まっていた時間が少しだけ動く。
もし、今のあなたが何もしたくないなら、
無理に動かなくていい。
でも、“感じること”だけはやめないでほしい。
それが、趣味を見つける第一歩だから。
いつかまた、「これ好きかも」って思える日が来る。
そのとき、「私、何もなかったわけじゃなかった」って気づくと思う。
🌿最後に
過干渉な親のもとで生き延びてきたあなたは、
“何もない人”なんかじゃない。
むしろ、「自分の意思」を封印されても生きてきた、
強い人だと思う。
焦らなくていい。
あなたのペースで、
少しずつ“自分の世界”を取り戻していこう。