ISFP 過干渉育ちに多い?【毒親育ちの女が無気力になった理由と、そこからの小さな脱出】


どうも、毒親育ちの女です。
何十年も、毒親の影響で自分の人生を生きる感覚を失っていました。

母から言われた言葉たちが、私の行動をすべて奪っていったのです。


■母の支配ルール

外出禁止。
恋愛禁止。
(そのくせ「なんで結婚しないの」と煽る。→実際にお見合い相手を連れて行ったら破談にされた)

旅行も禁止。
(「売春宿に売られる」「誘拐される」と言われた。いや、いつの時代の話?)

趣味も「お金にならないから禁止」。
学生時代の部活も「足が太くなるから禁止」。

とにかく、「勉強以外の人生」を全否定された。


■母の“狂気と矛盾”

母は高学歴でキャリアウーマン。
でも中身は、コンプレックスと承認欲求の塊だった。

「東大へ行け!近所に“うちの娘は東大か京大しか行かない”って言っておいたぞ」
とドヤ顔で言った数時間後には、
「ハハハハ!!お前なんかFランしか無理!受かるわけない!」
と罵倒してくる。

あれはもう、人格が何人もいるようだった。

今なら分かる。
母は「自家発電できないエネルギーバンパイア」だったんだ。
人を傷つけてエネルギーを吸わないと、自分の存在を保てない人。


■何もできない子に育てたかった人

挑戦するたびにバカにされ、傷つけられ、だんだん何もしたくなくなった。
そうして私は、無気力で、特技も趣味もない人間になった。

だけど、毒親って不思議。
そうなると、なぜか嬉しそうな顔をする。

「ほら見なさい。やっぱりお前はダメね。私がいないと生きていけないじゃない」
という空気を出して、安心している。

そう。
毒親は“自立できない子ども”をそばに置いておけると、安心する生き物なんです。


■それでも私は、家を出た

結婚して、やっと家を出られた。
でもそこからまた新しい壁にぶつかった。

「趣味がない」
「自分に強みがない」
「誰からも必要とされてないような気がする」

毒親の声が心の中にこびりついてて、
何をしても「どうせ私なんて」とブレーキがかかる。


■“無気力人間”が救われるきっかけ

でも、最近気づいた。
「自分を救うのは、自分の“好き”を取り戻すこと」だって。

趣味って、特別な才能やお金がいるものじゃない。
最初は「気晴らし」レベルでいい。
小さく始めて、積み上げれば、やがて“自信”になる。

たとえば——

  • 散歩中に撮った写真をSNSに上げる(→フォロワーがつけば副業にも)
  • 家にあるもので簡単スープを作る(→レシピ投稿)
  • 図書館で借りた本の感想をまとめる(→ブログ運営の第一歩)
  • 無料アプリで動画編集を練習(→案件につながる)
  • 自分の過去を文章にして発信(→同じ悩みの人に届く)

“無趣味人間”って、言い換えれば「まだ本気でハマれることに出会ってない人」。
だから、これからいくらでも作れる。


■まとめ:人生の主導権は、自分で取り戻せる

親が何を言おうが、過去がどうであろうが、
これからの人生は自分が選べる。

私は今も、無気力な日がある。
でも、たった一つ“今日やりたいこと”をやってみるだけで、
少しずつエネルギーが戻ってくる。

毒親に支配されて失った時間は戻らないけど、
これからの時間は、全部自分のもの。

もう、誰にも人生のリモコンは渡さない。


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